「健さん」に会ってきました!

「健さん」を観て、高倉健の魅力の一端を垣間見てきました。

この映画、実際に高倉健と仕事をしたり、プライベートの高倉健の素顔を知る人が、俳優高倉健及びたまに小田剛一(おだごういち・本名)に戻ったときの色々なエピソードを語るドキュメンタリーの作りになっています。

どこから映しても絵になる美しさをもつ俳優は、そうはいないのだそうです。

また、語らなくてもその場の視線を集めることができるという存在も稀なのだそうです。

ひとつの映画(たとえば「ブラック・レイン」)で見せた笑顔はたったの4回、にもかかわらずその笑顔で全てが救われたようになってしまうのだ、そんなことも語られていました。

 

私生活における周りの人への気遣いや、旅行好きなことなどは知っていたけれど、ごくごく身近な人しか知り得ない意外なこともこの映画は明らかにしていました。

仕事は手を抜かないイメージなので、時間にもきっちりしている人かと思っていましたが、実は健さんお寝坊さんだったそうです。朝なかなか起きられない、起こしてもまた眠ってしまう、20分遅刻して「待ったぁ?」なんてこともあったそうです。

そしてお酒は飲まなかった。やめた、というのが正確なところみたいです。若い頃お酒を飲みすぎてタクシーの運転手さんをボコボコにしちゃったことがあったって。それですっぱりやめたのだそうです。

だからかわからないけれど、健さん大の珈琲好き。撮影現場に豆を持っていって自分で淹れて、みんなにも「飲め飲め」と勧める。ミルクや砂糖をいれるのはご法度。みんな苦ーいのを飲まされる。実は迷惑だったと語るのは悪役専科の八名信夫。

とても人間らしい素顔を持っていたこと、聖人君子というよりもあたたかい自由人だったようなところもほっとさせられるエピソードですね。

 

生まれたのは1931年2月16日。

江利チエミと結婚したのも2月16日。

江利チエミの葬儀もまた2月16日。

 

ご存知の方も多いかもしれませんが、自宅が火事にあったこともあったようです。

火事の知らせを受けて駆け付けたときは既に全焼して、白い煙がたち上っていたといいます。それを茫然と無言でながめていた健さんの姿、目に浮かびますね。悲しい悲しい姿です。「何故だ?」と自問自答したことでしょうね。「どうして自分がこんな目に?」

愛していた江利チエミとの別れもつらかったでしょうね。

そして45歳で亡くなってしまった妻だったひとの葬儀には出ないで、そっと墓前で祈っている姿もごく自然に想像されます。

人生そのものが映画だったような。

ふつうの人にはとうてい生きていけないような。

からだ全体で「高倉健」を演じたような。

 

そうそう健さん、滝行をなさっていたそうです。尊敬するお坊さまに「たとえ映画の中でも人を斬りまくっているというのは、人を殺していることになる」そんなことを言われたことがきっかけで、「御瀧」を浴びにお寺に通ったようです。

そんな健さんの命式を拝見すると

年 辛未(かのとひつじ)

月 庚寅(かのえとら)

日 壬寅(みずのえとら)

そう、まさしく「武」のひとです。自分自身は「壬(みずのえ)」で、滔々と流れる大河で自由人です。社会に見せる顔は「庚(かのえ)」ですので、「剛金」のような武官の姿です。本名の「剛一」はぴったりの名前といえるでしょう。

ただ強いのではなく、そこには弱いものを扶ける真の男気があります。正義と慈悲の心を兼ね備えた大きな人物だということが命式からもうかがえます。

ある映画監督がこんなことを語っていました。

三船敏郎は「侍」(武士という表現だったかな?)

石原裕次郎は「青年」

勝新太郎は「アウトロー」

で、高倉健はそのすべての要素を持っていると。

そして命式を見ると、本当にその通り全ての要素が見られます。

日にちの柱(日柱)を観ると、「寅」は健さんの場合「丙」になります。蔵干というものです。つまり自分自身で「壬(みずのえ)」&「丙(ひのえ)」で「水火既済(すいかきせい)」ということになるのです。これは丙の太陽が川の水にキラキラ反射して最も美しい姿であるということなのです。

また仕事が終わるとふらっと長旅に出ていってしまうというのも、本来自由人の「壬(みずのえ)」の人の特徴かもしれません。英語の発音もとても流暢だったみたい。語学堪能な水瓶座の影響かもしれません。ドイツ語英語に長けている恒さまことサッカーの宮本選手、イタリア語で愛を語れるヒデこと中田英寿元日本代表なども同じく水瓶座です。

社会運の「庚(かのえ)」は固い金属をあらわしますが、任侠映画で一躍トップスターとなったこと(刀と共にあった)や私生活ではよく時計(金属)をプレゼントしていたことなど、「庚」らしさかなと思います。

そんな健さんの好きな花は「ミヤコワスレ」だったと料理屋の奥さんが語っていました。道端にひっそり咲く可憐な花が好みだったそうです。あるとき健さんが来るというので薔薇やトルコキキョウを飾ったら「こういうのは嫌いだ」とはっきり断ったのだとか。自分には似合わないという意味なのでしょう。

「君よ憤怒の河を渡れ」で共演した女優の中野良子が結婚の報告をしたらすぐさま自宅に持てない程の真っ赤な薔薇の花束が贈られてきたそうです。ちなみに以前読んだものに書いてあったことですが、この映画は中国で爆発的なヒットをし、中野良子が演じた真由美の名をつけることがはやったといいます。「ジイヤメイ」と発音するのでしょうか。

1時間40分程の、エピソード満載のこの映画、お母様との思い出を語る実の妹さん(美しい方)も登場されていました。

国際化は大切だけれど、日本の心を大切にしていきたいと私はこの映画をみてそんな感想を持ちました。

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。