「幸せ線」はありますか?

今日、東京郊外は、ムウッとする暑さでした。

皆さま、お疲れは出てらっしゃいませんか?

 

昨日は、自他共に幸せであろうとするトップリーダーたちのお話を聴く機会に恵まれました。感動がありました。

そして今日は勤務している高校生たちの合唱祭でした。感動に次ぐ感動でした。

 

毎回地域の大きなホールを借りきって開催される合唱祭なのですが、今回は会場に一度に入りきれない程のご家族がいらしていて、どうやら入れ換え制にして乗り切ったようです。今年、学校は倍率が都内でも指折りであったことが関係あるのでしょう、親御さんの期待も大きくなってきているようです。

その期待に応えて、生徒たちも全力で取り組んでいる様子が伝わってきて、勢いやエネルギーを感じました。

日頃教室で座っている姿からは、その生徒のほんの一部しか見えてないことがよくわかるのが各種の行事です。その姿に触れたくて、合唱祭や学園祭は欠かしたことがありません。(講師という立場は行事は自由参加なのです。)

生徒の合唱祭は欠かしたことがないのに、そういえば息子の合唱祭は中学でも高校でも出席した覚えがないことにハタと気がつきました。授業を休んで自分の子どもの行事に参加するという発想がなかなかできないで今日まで来てしまいました。(でも、それも案外柔軟に対応してくれたのかもしれません。)

 

 

さて、今年は「あなたへ」という曲が人気でした。「旅立ちに寄せるメッセージ~時の女神より~」という副題がついています。

時の女神よ 教えてください

握り合えない手と手ならば

隔てる心の壁はいつか

癒されなくなる日はくるのでしょうか

手と手をつなぎ その手をかざそう

人生という名の迷路の果てに

信じ合えることの喜びと

悲しみを知った分優しくなれることを

愛と涙 あなたの手のぬくもり

 

こんな歌を真剣に歌っている姿を見ると、それぞれの人生を一生懸命に生きている生徒たちの、ひとりひとりの幸せを願わずにはいられなくなります。

この子たちの幸せはどんなかたちなんだろう?

なるべくなら、一定の「型」や「枠組み」にはめないでいてあげたいなと思います。

違いを認めて、尊重し合って・・・それが「個性」を生かすということ、それぞれの幸せのかたちを追い求めるということでしょうか。

そして「個性」を生かすためには、やはり「自由」という基盤が必要かなと思います。

自由に発想できること

自由に発言できること

自由に自分を生かせること

 

 

今日、合唱祭の帰りに、あまりに疲れた体をほぐしてもらいに寄り道をしました。

担当して下さった可愛い女性は、実はママだということがわかりました。しかも意外と近いところに住んでいるらしいこともわかりました。そして、何より驚いたのは、私のブログを読んで下さっているということでした。

ありがたいことです。

 

さらに帰り道、地元の農家のおじちゃんがトマトの販売をしているところに遭遇しました。新鮮なトマト❢お値段もお手頃です。スーパーよりもグンとお安いのです。

缶の中にお金を・・・と探したのだけれど小銭が・・・ありません。

そうしたら、おじちゃん、「明日でもいいよ」と言ってくれました。さらにこれもつけてやるね、と言ってもぎたてのトマト2個もおまけしてくれました。

今日は朝義母の見送りをしてギリギリになって家を飛び出たら、うっかり定期券を忘れてしまい、さんざん小銭を使い切ってしまって、がっかりしつつ定期の有難さを身に染みて感じていたのですが、帰り道にラッキーなことがありました。

今日の私の幸せの色は「トマト色」でした。

 

幸せって、人と比べるるものであありません。

そして、「自分は幸せ💜」と思っていると、手相に「幸せ線」が出るんですよ。

薬指の下の場所を「太陽丘」と呼んで、そこに縦に刻まれるのが「幸せ線」です。

 

あなたの幸せは、誰の幸せもおびやかしません。

遠慮なさらずに「幸せ」をどんどん感じて、引き寄せちゃいましょう!

 

この親子もどうぞ幸せでありますように💜

 

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。