「祝う」と「呪う」

今日は満月。

大きなまんまるの月を見ると、とても懐かしいような思いがいたしますね。

月の神秘的な力は、人の心と深く結びついています。人ばかりか、潮の満ち引きや生命の誕生などとも大きな関わりがあるようです。その関連性はまだまだ解き明かされることがありそうです。

これからも科学は発展し続けることでしょうが、軍事に用いられるのではなくて、人の夢や希望に結びつく利用になることを祈りたいです。

そして、人間の魂の質が全体に底上げされれば、きっと「戦い」の道よりも「平和」の道を人は選択していくはずなのですが・・・本当に大切なことに気がつかないうちは「闘争」や「紛争」が繰り返されるのでしょうか。

いったいいつになったら人は大切なことに気づくのでしょうね?ボブ・ディランは「吹いている風の中に答えはある」と歌ってますが、それは人は潜在意識の中では既に知っているということかと思うのです。

国家のリーダーはそこの舵取りをあやまたないように、「平和」と「希望」に向かってそれぞれの国の航路を進めていってもらいたいと願います。

日本も世界も、「世の中を平和にしていく」とみんなで口にしたら、そちらに向いていかないわけはないのです。

言葉は、口に出したときには、もうそちらに向かってしまうと古代の人は考えました。「言霊(ことだま)」の考えです。

ですからお祝いの席では「寿ぐ(言祝ぐ・ことほぐ)」ということをするわけです。言葉で祝うということをするのです。

結婚式でのスピーチしかり、赤ちゃんの誕生の場面しかり、人の一生の時々で、人が「お祝い」をするのは、もともとは結果を「よかったね」というよりも、これからよいことが起こりますようにという「祈り」や「願い」の意味合いが強かったと思うのです。

オーロラ姫誕生の場面で、王様は「寿ぎ(ことほぎ)」、つまり良い言葉を授かろうと良い魔法使いを呼びます。招かれなかった魔法使いは、妬みと自尊心を傷つけられた口惜しさから、邪悪な言葉をかけに現れますね。

「祝い」と「呪い」です。

そして、どちらも「口に出した」瞬間に「形」となって歩き出してしまったのです。

「美しく」「賢く」「愛される」姫になるという「祝い」も、「女性となったそのときに死ぬ」という「呪い」も。

結局、知恵と愛とで姫は若くて命を落とさずにすみました。「祝う」行為は発展しますが、反対に「呪う」行為は破滅の道、暗い道に迷いこみます。

自分のプライドに縛られた魔術師はずっとずっと暗い「負」のスパイラルから抜け出せずにもがき続けるのでしょうね。気の毒ですね。

自分に我欲に縛られ、とらわれている結果だろうと思います。

明るさは「光」の世界ですから、どんどん軽く上昇します。するとますます願いごとは叶いやすくなっていくように思います。

 

考えてみると、私たちは知らず知らずのうちにいろいろと自分を縛り付けて苦しくしています。

心を軽くする手段はいろいろあります。自分を縛っているものを少しずつ解いて、楽になりましょう。

そうして、みんなが自分本来の輝きで生きていけたらステキなのですが・・・

そのために私たちはこの世に誕生したのですから。

人のことも「祝い」、そして自分をもまた「祝う」ことができたらいいですね。

 

今日、素敵な人とお会いしました。本当に大切なこと、を理解している方で声楽を学ばれた方です。ご夫婦でイタリア旅行された際に、その地で唯一出会った日本人男性にお声をかけたそうです。趣きのある雰囲気に惹かれたそうなのです。

いったんお別れしたあと、また別の地でもばったり出会い、不思議なご縁だと名刺の交換をされたそうです。

お名前を見て、多いとはいえないその苗字にハタと思い当たったそうです。帰国して同じ苗字の友人の住所と、名刺の住所を見比べたら、なんと同じだったのだそうです。

つまり、遠いイタリアの地で趣きある雰囲気をたたえていらした男性は、かつて郷里で共に学んだご友人のだんな様だったというのです‼

天は、このように面白いことをして私たちに何かを気づかせてくれるように思います。生きている不思議、人と出会う不思議、心がときめく不思議です。そういうことを実体験した人が生みだす世界には奥行きがあります。

きっとこれまでも深いところを見つめて歌を歌ってこられたと思いますが、これからますます歌の力で、人の心や世の中に灯をともしていかれるのじゃないかな、そんな気がいたします。

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。