ヴァレンタインにちょこっとチョコのお話

どんなヴァレンタインをお過ごしですか?

はたまた、どんなヴァレンタインの思い出がおありでしょうか?

甘い思い出、ちょっぴり苦い思い出・・・まさにチョコの味そのもの、それがヴァレンタインなのかもしれませんね。

では何故2月14日が「恋の告白の日」となったのか、それは意外と知られていないのではないでしょうか。

ヴァレンタインは、「聖ヴァレンタイン」と呼ばれるように、キリスト教(カトリック)の聖人です。迫害にあいながらも信仰を捨てずに2月14日に殉死された方だと伝わっています。

その「聖ヴァレンタイン」のエピソードに、恋人たちを愛で結び付けたものがあることから、彼の殉死の日を記念日としたようなのです。

世界の各地で、この日は「恋人たちが愛を誓う日」となっているそうですが、日本ってやっぱりガラパゴスなのですか、独自の進化を遂げたみたいで、1970年代に、とあるチョコレートの会社が「女性が男性にチョコレートを贈って愛を告白する」ということを掲げてから、すっかり定着したのだそうです。

なんだかドキドキするという意味ではハートのマークがふさわしいし、苦さと甘さがミックスした思いはチョコレートがうってつけですものね。

そして2月という時期がまたちょうどいいですよね。クリスマスにケーキを食べてからは少し時が経ち、3月の桃の節供までにはもうちょい。立春に恵方巻きを食べるという風習は、私のまわりでは昔からあったものではないですし。

特に大きな記念日のないこの時期で、ちょうど寒い頃ですから、チョコを売るにも買うにも「もってこい」のシーズンだったことが、何となぁく無関心でいられない国民的行事になった要因かなと思います。

 

さて最初の頃は「好きな男の子に贈る」役割のチョコが、商戦も手伝ってか、まわりの男性にあげちゃおうという現象が起こりました。「義理チョコ」です。

私が20代の頃、既婚のかわいい雰囲気の家庭科の先生が、職員室の男性教員全員に、手作りチョコを配っている光景を鮮明に覚えています。いまだに手作りチョコなど作ったことのない私は当時「すごいなぁ」と感心しきりでした。義理チョコの生まれた時代ですね。

「義理チョコ」という言葉ができると、それに対する「本命チョコ」なる言葉も生まれました。

そして、そのうち今度は、「男子とは別に友だち同士でも贈りあおうね」という発想からか、「友チョコ」なるものも登場。長女が小学生の頃、お友だちと交換するのでチョコ作りをしていたのを、妹・弟たちも真似して作っていたのでよく覚えています。親をあてにせずに自分たちで工夫していたので助かりました。

最近では、海外から高級チョコがここぞとばかりに日本めがけて押し寄せてくるように感じます。

宝石のような美しいチョコがデパートのガラスケースの中で「食べてね♡」とウィンクするように誘惑してきます。

楽しむことの上手な若い女性たちは、もはや「自分へのご褒美チョコ」を専ら購入されるようで、男子の存在を気にする声をあまり聞かなくなったのは私くらいでしょうか。

 

もう10年以上前になりますか、「世界の働く子どもたち」をとりあげたテレビ番組がありました。そのほとんどが、貧しさゆえに安い賃金で「働かされる」子どもたちのストーリーでした。最も印象に残っているのは、次の話です。

アフリカのカカオが取れる国の子どもが、学校に通う代わりに危険な高い木に登らされてカカオを収穫する、しかし彼らはひたすら収穫するだけで、それが美味しいチョコレートになるなんてことは知るよしもない、チョコレートの存在すら知らない、そんな内容でした。

以来、チョコレートを食べる度にちょこっと心が痛み、収穫する彼らに申し訳ないような気持ちを抱いていました。

ましてや、ひと粒何百円もする高級チョコなんて・・・と思ってもいました。

今は、少しだけ違います。

高級チョコを買わないんじゃなくて、高級チョコばかりか欲しいものは何でも買える人になって、世界の貧しい子どもたちを支えていくという夢。さらには、トランプ大統領の横に座って、「自分のことだけ考えてちゃだめよ」と進言するくらいの人になりたいなと思うのです。(笑)

 

まあそれはさておき、先日ニュース番組で、ヴァレンタインにこんな取り組みをしている会社があります、という特集をしていました。

その会社では「義理チョコの代わりにアフリカに募金活動を」ということを始めたというのです。確か、マリ共和国の支援をすると言っていたように思います。落ち着いた雰囲気の男性社員は、「毎年段ボールにいっぱいのチョコをもらうんです。お返しするのが困っていたからちょうどいい」とコメントしていました。

なかなかいい取り組みだわ、と思ってバイトから帰ってきた三女にしたところ、「チョコを否定しないでほしいな」と言われてしまいました。

この娘、このシーズン限定で、某高級チョコ販売のアルバイトをしているのです。そういうお店には、独特の文化があるのだそうで、店員さんの言葉遣いや気配りから学ぶものも多いのだそうです。ですから、チョコを悪者扱いにされるのはかなわないと思ったのでしょう。

でもさすがに「段ボールいっぱいの義理チョコは、すごいね~。そういうことならわからないでもないな」と、会社の取り組みには納得していました。

たかがチョコ、されどチョコ。

チョコひとつとっても、そこには様々な思いが渦巻いているのですね。

私が自分に買ったのは、こんなチョコです。


本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。