インドの古い経典の言葉

日曜日に鎌倉の山歩きをしたものですから、どれだけ筋肉痛になるものかと危惧していましたが、筋肉痛は全く起こらず今日まで過ごすことができました。

今年度は高校でも小学校でも3階以上の教室で授業することが多いせいでしょうか。日に数回の階段の昇り降りをしていることが幸いしているのかもしれません。

ただし、ブログの更新をする前に眠ってしまうことが多かったことからも、疲れは感じているのだと思います。

 

いま私が実践していることは、悪い感情を心が感じる前に、一瞬前で振り払うということです。

悪い感情とは、自分の心や体にダメージをもたらす感情、ということです。

たとえば「怒り」です。

「怒り」は血液を汚します。酸性にしてしまうんです。

別の言葉でいうと、血液ドロドロです。

それは血圧をあげます。動脈硬化を導き、様々な病気をひき起こす要因となり得ます。

 

そこで、怒りを感じそうになったら、湧き起こっててきても、自分を守るために「怒り」を振り払うのです。

そして自分の内面に入って来ないようにするのです。

いったん「怒り」の感情を自分の中に入れてしまうと、数日後、あるいは数週間後にその「怒り」という心の記憶の結果を植え付けることになります。

自分に起こることの全ては、実は自分の心の記憶が原因。全ては自分自身の過去の行為の結果が今の目の前の現象です。

 

こう考えると、意外にも怖ろしいものがなくなってきます。

 

たとえば、もし同じことをしているのに自分でなく友人のAさんにだけラッキーなことが起こったとしたら・・・

何も知らなければ、羨ましいなとか、それに比べて自分はダメだとか、妬ましい気持ちや、ズルいなという思いが湧き起こってくるのが、人として当たり前のように思います。

でも、今のAさんのラッキーが、Aさんの過去の行為の結果だということを知った途端、羨む気持ちや妬む気持ちの代わりに、今から自分の取るべき行動がわかってくるわけです。

それは、よい結果を得るためのよい種まきを始めるということです。

 

反対に、誰の目から見てもおかしなことをしているのに何故かみんながなびいていく不思議な現象、というのもこの世にはありますね。

それは、その人が過去にきっとよい行為をしたことの結果がいまは現れている、に過ぎません。

いま現在おかしなことをしていたら、やがては有難くない現象が起こるおそれがその人にはあるのです。

 

でも、それを願ってもよいことはありません。

あくまで、その人がよりよい行動をするように、その人の幸せすら願う気持ちになったら、その頃には自分にはラッキーがウソのように起こり続けるのです。

どんなことが起ころうとも、ラッキーだと受け止める心になっていくのかもしれませんね。

 

私自身は、まだ道を歩き始めたばかりです。まずは自分の生き方を変えてみることで、この言葉に説得力を持たせたいと思います。

 

 

インドの古い教典に次のような言葉が記されているそうです。(「ダイヤモンドの知恵 古代チベット仏教の教えに学ぶ成功法則」 ゲシェ・マイケル・ローチ著 渡辺千鶴訳 より)

解決できる状況ならば、うろたえる理由はない

解決できない状況ならば、うろたえても無駄である

 

どうでしょうか。含蓄のある言葉ですね。

うろたえずに歩んでいきましょう!

 

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。