シンゴジラに魂消たぁ!

昨日開催予定だった地元の小学校の運動会が雨で延期になり(結局降らなかったけど)、今日暑いくらいの晴天の中でおこなわれました。もう何度も見学・応援している運動会ですが、少しだけ今小学校にかかわっていることでまた違った見方ができました。

親の立場やPTAとしてかかわってきた時とはまた違った見方です。高校生相手ともまた違う感慨です。

いろいろな学年の子どもたちの、全ての競技や演技が滞りなく進んでいくためには、先生方の下準備やご指導は本当に大変なものがあるのですね。

そして先生方がのびのびと動けるためには、上に立つ方の人柄が大きいと思います。

また先生方が気持ちよく動けるためには地域の力が欠かせないです。

地域がよいと子育てしやすくなるし、その結果子どもがよくなります。

循環がよいと今日のようにたくさんの頑張る姿や笑顔や悔しい顔がまっすぐに出てくるのかなと感じました。有難いことです。これは決して当たり前の姿ではなくて、いろいろな立場のいろいろな支えがあってのこと、校長先生にそんな意識があるところは上手く循環していますね。

上の立つ人の存在は、思っている以上に大切です。

会社も、そして国も、同じことが言えると思います。

「シンゴジラ」を観ました。馴染んできたゴジラとは全く異なる姿で現れたときは魂消ました!

そしてGodzillaの中にはGod、つまり「神」がいたのですね!知りませんでした。人間の生み出した荒ぶる神なのだそうです。

この映画、核の問題・組織の問題・安保の問題・人材活用の問題などなど、観る人によっていろいろな見方のできる力作でした。「爆音」が売り物の映画館で観たため、振動が背中からも伝わりずっと緊張状態だったせいか、終わったときは肩が凝っていました。

役者さんたちが難しい専門用語を早口でしゃべるため、半分以上は聞き取れず、私って相当馬鹿なのかしらとちょっと落胆しましたが、その分緊迫したムードは十分伝わり、非常な臨場感を味わいました。

私は、科学的な難しいことはわからないため、上に立つ存在の大切さという観点で観ていました。トップは決断を常に迫られる大変な任務だということ、いまだかつて経験したことのない事態に面と向かわねばならないとき、「正しく」「素早く」決断することは身を削る思いでないとできないのだろうなとつくづく思ったのです。

「いざというとき」に何を優先させるのか。純粋に国家の将来を最優先で考えるのか。やっぱり我が身可愛さに、自分の経歴や将来のポストなのか。両方が同じ方向に向いていればラッキーですが、全く反対の方向に向いていたら、そのとき自分をあとにできるかな。

どちらが幸せかといえば、断然自分を後回しにすることじゃないかと思います。いったんそうやって動き始めると、不思議と天は味方してくれると私は信じています。たとえ「今の時点」での成功でないとしても、です。

映画の中では、主人公が「10年後のトップの地位」より「10年後の国の存続」を選んだ英断で、ゴジラの魂は消えて行ったのだと私は思いました。人間の愚かさが生みだしたゴジラの中の荒ぶるGodが、人間の「知」と「善」を認めたということなのかなと。

 

今日、木星が水を噴き上げていることが確認できたというニュースをみました。木星〈Jupiter〉はズバリ「幸せ」をあらわす星です。手相でも木星を意味する丘(薬指の下)を縦に走る線は「幸せ線」です。

その幸せを表す木星が、感受性や知性をあらわす水を噴き上げていた、それを地球に住む私たちが知ることとなったというのは興味深いなと思います。何か地球へのメッセージなのではないかと思うのです。

殺伐とした空気の漂う地球に見えるかたちで、感受性と知性を放出して送ってくれているのではないかと。木星から地球への愛のメッセージなのではないかなと。

あまりにもおとぎ話のようでしょうか?

 

そして今日もまた、教え子の書いた文章が新聞の投稿欄に掲載されました。漢文で「桃花源記」を読んだ後に各自のユートピアを考えてもらったのですが、よく書けている生徒のものを投稿したところ採用されたのです。物質的なものではない「心の豊かさ」について書いたものです。

連日の掲載に驚いています。嘘のようなことが起こるものです。

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。