マルタとマリアとまるたまり

三日連続で「つながり」を感じるできごとがありました。

おとといは、娘のママ友の愛子さんにメールを送ったところ、「ちょうど美也子さんの鑑定の話をお友だちにした直後だったからびっくりして感動しました!何か通じたのかな?」という返信をいただきました。お名前の通り、愛と気配りに溢れた素敵な方です。小山実稚恵さんの大ファンでいらして、小山さんの魅力を深い思索に満ちた表現で伝え広めている方です。

昨日は朝起きると、息子のママ友Yさんから「ライン始めましたぁ」というお知らせが入っていました。その前日、何故か集合写真から彼女の姿だけが立ち上がってきて、いつもたたずまいが美しい方だなあと見入っていたところでした。幼稚園の先生をなさっている優しい方でもあります。私の友人知人で幼稚園の先生だったという方たちは、揃いもそろって、芯の強さと優しさをあわせもった方ばかりです。そして皆子育て上手!

今日は、仕事の空き時間に中高のときの学年のアイドル的存在のマカちゃんからメールをいただきました。とても同い年とは思えないすらっとした容姿の持ち主で、フルートを吹く姿はプロ顔負けです。今日のブログのテーマを考えていて、そこにはマカちゃんも関わっているわけなので、これまた驚き!そのことを伝えると、「星のお導きかしら?」というお返事。占いの話題を見ると私のことを思ってくれているという嬉しい言葉に気持ちもほっこり。

 

さて、今日は聖書の「ルカによる福音書」にある「マルタとマリア」のお話を考えたいと思います。

それはこんな話です。

イエス・キリストがエルサレム市街地のベタニアという村に滞在されていたとき、マルタとマリアという姉妹の家を訪れました。姉のマルタはイエス様と弟子たちを迎えるために、できる限りのおもてなしをしようと張り切っていたのでしょう。甲斐甲斐しく立ち働いていました。

一方、妹のマリアはイエス様のそば近く、その足もとに座って、イエス様のお話にじっと耳を傾けています。すると姉マルタは、「イエス様、妹は私ひとりに用事をさせています。私を手伝うように言っていただけませんか」という内容のことを言うのです。

イエス様は答えます。「マルタよ、あなたは多くのことに思い煩って気を乱しています。必要なのはただひとつ。マリアは良い方を選んだのだから、それを取り去ってはなりません」

たったこれだけです。

どう思われますか?

はじめてこの話に触れたとき、「なんて理不尽な!」と思い、ショックでした。イエス様とその弟子たちのために頑張って食事の支度やら、忙しくお世話しようとしているマルタよりも、手伝いもせずにイエス様のおそばにちょこんと座っているだけのマリアの方が「よい方を選んだ」と評価されるなんて・・・

今は少し違います。時にマルタであり、時々はマリアであった私。マルタだけでも困りますし、マリアだけでは通常はもっと困ります。お客様がいらしたら、実はどちらも大切です。接待をすることも、お話相手になることも・・・

ではなぜイエス様はマリアの選択をよいとされたか?

イエス様はこの一週間後には、実はこの世の人ではなくなるのです。この世の人間の罪を贖う(あがなう・つぐなうといった意味)ために生まれてらしたのに、その人間により磔(はりつけ)にされてしまうのです。ユダの裏切りということになっていますが、ユダは私たちの負の心の代表だと思います。

残り少ない持ち時間をイエス様は知ってらしたのでしょう。だからこそ、イエス様は伝えたかったのだと思います。大切なことを。愛を。真に生きるということを。今は何より、自分の話に耳を傾けて欲しい・・・そんなお気持ちだったのではないかと今の私は思うのです。

でもね、やっぱりマルタにもねぎらいの言葉をかけてあげてほしかったな。「ありがとうマルタ。本当に私たちのためによくやってくれて。でも今はこちらに来て、話を聞いておくれ」こんな風に言って下さったら、読む者の心は救われる気がするのだけどな。こんなこと言う私は、まだまだかもしれませんね。

ある時はマルタで、ある時はマリアである私たちですが、このふたりを合体させた名前を持つ友人がいます。その名もまるたまり。本名です。今は結婚して苗字が変わってしまいましたが、声優として、またジャズシンガーとして幅広く活躍している友です。昨年のミニ同窓会には浴衣姿であらわれて驚かされました。今年のお年賀状は「出し忘れてたぁ」とつい最近受け取りました。一風変わった友人の中でも断トツの存在です。ただ歌声はみごと!声優としても数々の作品に登場しています。四柱推命を共に学ぶ仲間のKさんも声優として韓国ドラマなどの作品に出演されてますが、ふだん接しているときと全く異なる声を出せる声優さんはすごいですね。

高校を卒業して何年目かの同窓会で、まりさんと、冒頭で話題にさせていただいたマカちゃんが、幹事と司会進行を務めてくれたことがあります。そのときかつての院長の故大島孝一先生がご挨拶で、幹事のまるたさんにちなんで、この「マルタとマリア」の話をして下さいました。以来、マルタとマリアは、まるたまりの名と共に私の中に住みついているのです・・・今日はちょっと個人的なお話になってしまいました。おしまい。