人が幸せを感じるのはどんな時?

昨日フェイスブックの話をしましたね。

マーク・ザッカーバーグの作ったこの便利なツールはどんどん進化を遂げています。

 

ご存知と思いますが、フェイスブックは実名でのみ登録ができることになっています。

私の場合は「MIYAKO SHIMOKAWA」というアルファベット表記か、もしくは「下川美也子」と日本語での表記です。出身地、趣味、出身校、誕生日などなどの情報を任意で付け足すこともできるシステムです。

 

フェイスブック上でつながる場合は、友だちになりたい人の顔写真のわきに「友達申請」と書いてあるボタンがありますので、そこをクリックして相手に送ります。

相手の方が「承認」してくれたら、つながることができます。

 

「申請」とか「承認」とか最初はずいぶん固い表現だなぁと思っていましたが、最近は慣れてきました。

 

 

前置きが長くなりました。

 

人が幸せを感じるとき・・・それは、「人とつながることができた時」ではないかと思うのです。

 

人の悩みごとが「人間関係」なら、人の喜びごともまた「人間関係」だといえましょう。

 

どんなに面白いことを経験したとしても、ひとりで味わうより誰かと共有できたら喜びは倍増しますね。

その反対もしかりです。悲しみはやはり共有することで落ち着きをもたらしてくれたり、励ましや慰めとなり、「ひとりじゃないんだ」という安心に変わったりします。

 

また、人は「誰かのために」と思った時、「自分だけのために」やるより頑張れますね。

張り合いもあるし、分かち合う喜びが起こってきます。

 

ひとりでがんばっている方、たまには誰かに助けを求めてもいいんですよ。

もたれかかったっていいんですよ。

思いを吐き出したっていいんですよ。

 

自分だけで溜め込まないで!

自分だけで抱え込まないで!

思いきり弱みをみせったっていいんじゃないですか?

 

つながりましょうね。

分かち合いましょうね。

同じこの地球に同じ時代に生まれてきた仲間ですもの。

 

今日、フェイスブックでつながっていた友があの世へ旅立ったことをを知りました。

ついこの間まで、私の投稿へも「いいね!」をしてくれていた友です。

芸大を卒業して雑誌のお仕事をしていた友でした。

 

祈りの時間が日に日に長くなっているこの頃。

 

まとめる言葉が見つからない。

 

皆さま、どうぞ明日も元気でお過ごし下さいね。