手相の通りに生きてみる~幸せ線はありますか?

今日は、同居の夫の母の付き添いで沿線の駅前クリニックに行きました。日曜日なのに結構混んでいました。内科のほか小児科もあるので、この間平日に行った時とは異なる景色に驚きました。お子さんを連れているママもたくさんいて、「こんな日もあったなぁ」なんて思って受付けを済ませて腰をおろすと、隣り合わせたママが「お久しぶりです!」と声をかけて下さいました。

なんと、幼稚園で三女の担任をしていただいたR先生でした。「Eちゃんはお元気ですか?」と言われて、十数年前の記憶がサーッと蘇ってきました。よく言えば非常に個性の強かった三女は、私の中の理想とか「こうあるべき」とかを次々に塗り替えてくれた娘なので、ようやく人間になろうとしている園児の頃に出会った先生にとってはさぞかし強烈であったろうなと思うのです。

お膝にちょこんと座っているお譲ちゃんはようやくお熱が下がったのだとか、いい子にしています。思い出話をひとしきりした後、小さな子を保育園に預けて仕事をしてることで幼稚園のママたちから、「一番かわいいときに保育園に預けてるなんてもったいないっていわれちゃうんですよ~」と打ち明けて下さいました。

鑑定を勉強し、仕事にするようになってから、幸せのかたちは人それぞれということを日々実感しておりますから、「そんなことはないと思いますよ」と伝えました。まだ勉強中だけどと言って手相をみせていただきました。

私の7~8割ほどの大きさしかない小さな手をしてらっしゃいます。手は、大きいと繊細で細やかな心遣いをするタイプ、小さいと大胆で行動力のあるタイプです。四大線といわれる「生命線」「感情線」「知能線」そして「運命性ん」もくっきりはっきりしています。しっかりと生きている証拠です。

「生きる」とうことをしっかりやってきたシニア世代の方たちの線はくっきりしているそうです。それに比べて若い世代で世の中から遠ざかっている人の中には、線が消え入るような人が増えているそうです。ですからはっきりくっきりした線を持っているということは、意思表示をしていることの証と言えるのです。

そればかりではなく、R先生は生命線の内側にもう一本線を持ってらっしゃいました。二重生命線と呼ばれるものです。タフであることをあらわします。これだから人は見かけではわからないなと感じます。R先生の見かけは頑丈とは程遠いのですから。

中指に向かっていく線を「運命線」といいます。どこからスタートしても、中指つまり「努力」や「勤勉」を意味する土星丘に向かう線を「運命線」といい、仕事運を表すのです。R先生は、この線も実にはっきりしていました。

手相の第一人者である高山東明先生の解く教えは「手相の通りに生きるのが幸せ」というものです。ですから、仕事の線を持っている人は仕事を持って生きるのが幸せなのであり、いくら仕事がしたいといっても家庭に入ってパートナーを支えることで自分も家族も開運するという人もいます。その人なりの、つまりその人の手相通りの人生を歩むのが幸せを手に入れることなのですね。

私自身は、かつては専業主婦に憧れ結婚と同時に仕事はやめて家庭に入りました。仕事と家庭の両立なんてできるわけがないと思っていたのです。そして、子どもが小さいうちはそばにいてあげるのが最もよいと信じて疑わなかったからでもあります。けれどもその時代は10年ちょっとで幕を閉じ、再び外に出て働くようになりました。

今では仕事線と、家のことをこなしていかねばならない線がくっきりあります。「夫の母のお世話をしなさい線」らしいのです。前世では反対にお世話になっていたのかもしれないなぁと思ったりもします。先日も書かせていただきましたが、これから介護する人は増えこそすれ減ることはないでしょう。介護に関する鑑定も増加するに違いありません。そういった方たちに親身になってさしあげるためにも、まずは自分からと思うようになっています。

昔、美輪さんが新聞か雑誌で人生相談のコーナーを担当されていた時、パチンコにはまる人の気持ちを理解しようとご自身もパチンコをなさったと言います。能力には自信のない私は、いろんなことを経験することでしか理解できないからそうさせてもらっているのかもしれません。

さて幼い子を預けて仕事をすることについてですが、働きたくても預ける施設不足という深刻な問題も一方ではありますが、仮に預ける場所は確保できた場合、どうするのがベストか?

運命の通りに生きる、というのが答えです。

仕事をして世の中に貢献する運命をもっているママが家庭にずっといたら、それは本来の自分を生きていないことになります。子どもと長い時間を過ごすことばかりが必ずしもよい子育てとはいえないからです。ずっと一緒に過ごして上手にできる人もいれば、短い時間を有効に子育てに当てることが上手な人もいます。

長い時間ずっと子どもと一緒にいてストレスが溜まり子どもに当たってしまうくらいなら、外にでてリフレッシュする方がよいし、外に出ることで子どもに申し訳ないと感じてうしろめたく思えるようなら、家にいて我が子と過ごす時間に重きを置くのがよい、と子育て終盤に入った今、そう思います。

そして最初に選択した道が絶対なわけでもありません。ダメならやり直せばよいのです。やり直しに寛容な社会にしていきたいですね。最初から自分の人生のコースが見えていたのはイエスさまくらいじゃないのかな。普通の人間は、トライして失敗して、違う方法からアプローチしてそれでもダメで、いろんな試行錯誤を経て何とか自分らしく生きる道をつかめるかどうかなのではないかと思います。

R先生は「仕事をしていきたいんです」とはっきりした意志をお持ちでした。それがくっきりした運命線に現れていたし、手のひらの真ん中にはご先祖の守護を意味する十字が鮮やかに記されていました。

夜になって帰宅した三女にR先生が娘の名前も当時の姿もしっかり覚えて下さっていた話をすると、とても驚き感動していました。

そうそうもう一つ。R先生には薬指に向かって生命線から伸びる幸せ線もありました。薬指の下の丘は「太陽丘」で「幸せ」や「人気」を表します。若くてこの線がはっきりしているというのは、ご自分の今に満足して幸せを感じて生きているということです。

お嬢ちゃんの診察が終わった頃に現れたR先生のご主人は、誠実そうで爽やかな男性でした。R先生の手からお嬢ちゃんを受け取ると、優しく抱っこして、にこやかに一礼して一家は去っていかれました。義母の病院付き添いのご褒美で、幸せのお裾分けをいただいた休日となりました。