大晦日~ケルヒャー大活躍、そして断捨離

暮れににやってきた二人の娘たちが今日帰っていきました。

4人の子ども(長女・次女・三女・長男)たちのうち、長女と三女が今は自宅を離れて暮らしています。

面白いことに全員が家を離れた経験を持ちますので、生活に大切かつ必要なことは自分でできるようになっています。

 

夫も私も思い通りにさせようとしないところが似ています。

「出ていく」といえば「あ、そう?」と自由を尊重してきました。

帰ってきたいといえば、これまた「どうぞ」と再び居場所を確保しました。

 

それぞれの引越しに駆り出されるのは夫と息子で、私は戦力外と認識されているのでその点は楽チンです。

 

ですから夫は全員の住まいを把握していますが、私は出向いて掃除してあげたりとかしないので、長女の新しい住まいはまだ行ったことがありません。

常識からすると、母親は真っ先に子どもの新居に行くものかもしれませんが、求められなければたとえ自分の子どもであろうとも踏み込まないのがどうやら私のようです。

 

その代わり、うちに帰ってきた時くらいは世の中のお母さん同様、「美味しいものを食べさせてあげたい」という母心でもてなします。

 

そんなわけで、子どもたちが帰ってきている間は自分のことは後回しにならざるを得ないけれども、それもまた喜びなんだなと思っています。

 

きょうだい4人は仲がよいので、Lineでしょっちゅう連絡を取り合っているようです。

家族6人Lineというのもあって、今回はそれぞれが帰宅した際に大掃除として何に参加するかを打ち合わせてくれていました。

私は「ここが気になる」と発信するだけ。

それと、今回テレビのオンラインショップで「これいいな💛」と思った「ケルヒャー」の高圧洗浄機を買っておきました。

 

家電に詳しい次女や、一人暮らしの経験で「役に立つ電化製品」を知っている長女と三女は、「ケルヒャー届いた!」という私の連絡にすぐさま「わ!買ったんだね‼」と反応してくれました。

大掃除リストには、このケルヒャーを使ったあれこれがあがり、夫と息子が面白がって担当してくれたのでおおいに助かりました。

 

「断捨離」もひとつ大きなテーマとして掲げられ、その必要性が一番ある私は、その一番苦手な「捨てる」ということと向き合わされました。

前もって次女と長男によって部屋一面に背表紙が見えるように並んだ本何百冊かを一つずつ「いる」「いらない」に分類していく作業は、終わりが見えなくてへとへとになりました。

「お母さんの本だからお母さんが決めないと誰も代わりはできないんだよ」と励まされ、それでも苦手なことなのでどんどん自分から元氣が失われていくのがわかり、本当にしんどかった‼

 

私、元氣がなくなると背中が丸まって、どんどん座高が低くなり、表情がなくなっていくのが自分でもわかります。

 

「断捨離」の最中もだんだん背中が丸まっていくので、それに気づいた子が「あとちょっとでコーヒーブレークにしてあげるからね」とか「お母さんが大好きなリンツのチョコ買ってきてあげるから」と叱咤激励されて、部屋一面の本の海は何とか「処分組」と「本棚バック組」とに分けられたのでした。

 

いやあ、しんどかったぁ!

 

結婚してこの家に来るときに、ほとんどの本は処分してきました。

あれから二十数年かけて溜まってしまった本たち・・・

その1冊1冊にはそれを手にした時の状況や思いがあります。

その「思い」が心にズシンとくるのです。

 

プレゼントされた本もたくさんあります。

思い出のつまった絵本は捨てられません。

著者のサイン本は宝物です。

 

また、本をペラペラめくると、そこには新聞の切り抜きや、昔の教え子からもらったお手紙、大切なことが記されたメモ書きなどもでてきます。

 

「思い」は「重い」ので、ずしりと心に響くんです。

 

片付け、特に捨てるとか処分とかの作業を私が苦手としていることは家族はみんな「承知の助」なので、「珈琲&おいしいチョコ」というニンジン作戦も用意してもらって私の「断捨離」は何とかできたのでした‼

 

すべて終わったあと、しばらくは立ち上がれない程の疲労感があったこともお伝えしておきます。

 

部屋という部屋にアロマオイルをデイフューズして、しばらくよい香りに身を置いて、なんとかダウンせずにお正月を迎えることができたのでした。

 

このあと、宇宙から大きなご褒美がいただけたことはまた今度。

 

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。