心を何にたとえよう♪

ジブリの「ゲド戦記」の中でテルーという辛い過去を持つ少女が歌うのが、『夕闇迫る雲の上♪』で始まる「テル―の唄」です。語るように優しく歌われる一番の盛り上がりの部分が「心を何にたとえよう♪」ですね。まさに心をグッと掴まれる、素朴でしみじみとした調べを持つ美しい詞とメロディです。

この歌の中で、心は「鷹のような」「空を舞うよな悲しさ」であり、「花のような」「雨にうたれる切なさ」にたとえられています。「一人道行くこの心」はつまり「一人ぼっちの寂しさ」なのですね。

常々思っていることですが、心のある限り人は100%客観的にものを見るなんて不可能です。同じ赤い花を見たとしても、よいことがあったあとには華やいで見えたのが、悲しいときは色褪せて見えたり、もっと落ち込んでいたら視界にも入らなかったり、イライラしている時は花の存在すら忌々しく思えたり・・・

自分の状況によって同じ出来事が異なって感じられる経験は、皆さまにもおありだと思います。クリスマス。恋人と過ごせる人にとっては待ち遠しい日。恋人がいない人にとっては面倒くさい日。恋人と別れたばかりの人にとっては心をえぐられるような辛い日。

とはいえ最近は、恋愛はコスパ(Cost Performance 費用対効果)が悪いと断言する若者が増加傾向らしく、何だか寂しい現象だなと感じています。「失敗が怖い」の別の言い方なのかもしれませんし、若者の内向き志向をあらわしているのかもしれません。あるいは心理学の言葉でいうところの「酸っぱい葡萄」かもしれません。樹の高いところにある葡萄は手が届かないから、あれは酸っぱいのだと言い聞かせて取れないことの言い訳にするというものです。

でも、もしかしたら若者の低所得にも原因の一端があるのかなと私はひそかに考えています。恋人とオシャレなお店にディナーを食べに行くとなると自分ひとりで食べる食事の何倍もかかってしまいます。それだけのコスパに見合う結果が出ないことを予想したら、つまらいなと感じても仕方ないかなとも思います。また恋愛以外に心ひかれることが多いのも事実です。気が合うかどうかもわからない異性と過ごすくらいなら、一人で好きなことに没頭したいというのもうなずけますし、同性異性の区別ない交流も素敵ではあります。

昔の若者も必ずしもお金があったとは言えないと思うけれど、もっとアホだったというか、夢があったような気がするのです。若いからこそ許される失敗もありましょう。何でもコスパばかり考えず、もっとおバカになっていただきたいなと思います。痛みを感じることをおそれないでもっと心を解き放ちましょう!

人を好きになり、相手の心を思い遣る、そんなことから「思いやり」や「想像力」も養われるに違いありません。きっと世界ももっと立体的に立ち上がってくるはずです。

心の筋肉が鍛えられるとおそれるものは何もなくなるかもしれません。本当に鍛えられた筋肉が柔軟であるように、色々な経験をした心はしなやかで人をひきつける力を持つでしょう。

あなたの心をたとえると何になりますか?時には鷹に、時には花に、そして時には大空のように、変幻自在でいらして下さいね。