熊本城を復興のシンボルに!~逆転の発想を生かせたら

久しぶりに外出をしない一日となりました。ただし夕方ケアマネージャー、通称ケアマネさんが義母の様子を見にやってらっしゃいました。義母がケアセンターから帰ってきてからがよいでしょうとのことで16時に約束をしましたところ、ジャスト16時にお見えになりました。

ケアマネさんのそういった心遣いには頭が下がります。介護する者の「時間」というものへの気遣いです。まずは義母が無邪気に問わず語りを始めるのをにこにこ聞いて下さって、ひとしきりお喋りして満足したところで最近の様子などの聞き取りと、実に適切な今後のアドバイスなどして下さいます。

夜8時半を回って、お茶でも淹れようかという頃電話がかかってきました。先ほどのケアマネさんです。今日提案して下さったことを少しでも早くすすめようと職場に戻ったあとも色々考えて下さっていたようで、帰り道にふと気になったことがあるからお電話しちゃいました、とのこと。

きっとこれからお夕飯の支度もなさることでしょう。さっさか夕飯を済ませてのんびりしていた私に対して、義母の件で今までお仕事して下さっていたとは!こういう方たちに支えられて、私は生活できているのだと改めて認識したのでした。もっというなら、このようなケアの専門家たちが、介護人口が増加し続ける今の日本を基盤のところでしっかり支えていて下さっていると言っても過言では無いと思います。

 

さて、話は熊本へ。この度の地震がもたらした被害はひとり熊本・大分にとどまらず、東北で震災にあった方の心にも影を落としているといいます。同僚の知人で仙台で震災にあわれた方が、過去のものとして封印しかけた恐怖の記憶がよみがえってきているというのです。トラウマという現象をひきおこしているのでしょう。

今も続く余震のために熊本の方たちはホッとすることもできないでお過ごしのことでしょう。そして熊本のシンボルである熊本城が相当なダメージを受けていると聞きます。あの美しさと頑健なイメージを併せ持つ名城、熊本城がです。熊本の方にとってこのお城の損傷はやるせないであろうことは想像に余りあります。

そこでこの熊本城を復興のシンボルにすることで、熊本の方に元気を取り戻していただくという企画が持ち上がっているようです。見上げればいつもそこに厳然と存在していたお城は、桜の名所でもあるようです。地元の方の心の拠り所であり、支えであり続けてきた熊本城だからこそ、もとの姿にしていくことが復興のシンボルとなることは間違いないと思います。

熊本城の石垣がびくともしない作りであることは加藤清正の功績と共に有名な話なのだそうですが、加藤家の石垣普請のみごとさを物語るエピソードがあるといいます。家康が江戸城の石垣工事を浅野家と加藤家に命じたところ、浅野家は期限よりもだいぶ早くに仕上げたそうです。一方加藤家の方はというと、予定された土地一面に茅(かや)を敷きつめ、その上に砂利や土をかぶせ、近隣の子どもたちをその地で遊ばせたというのです。

茅(かや)は油分があるため耐水性が強くて水をはじく性質があるそうです。子どもたちに土地を開放したわけは、そこで遊んでもらうことにより地ならしをしたのです。そうして期限ぎりぎりまでかかって石垣を築きあげたのだけれども、家康が褒めたのは素早く仕上げた浅野家で、その工事責任者には褒章まで与えました。

ところが翌年の大雨で、浅野家の工事区分だった石垣はもろくも崩れ、加藤家の担当した部分はびくともしなかったのだそうです。いかに基礎工事が大切かということと、この加藤家が携わった熊本城はどれほどすごい城なのかを物語るエピソードとなっています。

いま、この話を再び生かせないでしょうか。

地震が落ち着いたらすぐにでも改修工事にとりかかるのです。そして少しずつ少しずつ基礎から固めていくのです。かつて加藤家が子どもたちに開放することで地固めをしたエピソードのように、できあがる過程もまた観光客に楽しんでもらうというやり方です。

タイムリーなことに、昼の「スクランブル」という番組で、「弘前城に復興の鍵がある」という特集をやっていました。弘前城もまた青森県民の心のふるさとでありシンボルであるといいます。その石垣に倒壊のおそれがあるとのことでお堀を埋めたりなど、本来のお城の姿は今見ることができません。

しかしそれを逆手にとって、今しか見ることのできないお城の姿ということを売りにしているのがすごいところです。観光客もふだんの倍に近いとも。そのうえ「曳家」という手法でお城を3ヶ月かけて移動したのです。弘前城石垣修理事業を「弘前城が動く」というキャッチフレーズのもとに、楽しんじゃお!っていう精神がすばらしいと思います。さらに「お城を綱で引っ張ろう」ということで公募したところ全国からファンが集まったのだそうです。

この弘前城の、マイナスをプラスに逆転させてしまう発想を熊本城でも生かせないかと番組では提案していました。そうは言っても規模も傷みも違うのでしょうが、お城の復興が、たくさんの痛みを抱えた熊本の方たちの心の支え、復興のシンボルとなったらいいですね。

つらさの中にも喜びを、つらいからこそ逆転の発想でマイナスもプラスに変えてしまう、熊本城の復興が傷ついた方たちの支えになることを祈ります。