日暮里のおばちゃん

日暮里のおばちゃん。

そう親しみをこめて呼んでいた父の姉であるおばちゃんが入院していると聞いていたので、今日はお見舞いに行ってきました。

おばちゃんは、ご主人を早くに亡くしたため、5人の子どもをひとりで育てた「元祖シングルマザー」です。

下町の日暮里に住み、子ども相手の駄菓子屋さんを営んで暮らしていたので、おばちゃんの家に遊びに行くと普段触れることのない「駄菓子」と出会えてわくわくしたものです。

明治の女流作家である樋口一葉が、やはり生計のために、文筆活動のかたわら駄菓子屋さんをやっていたのと何か似ているなぁと思ったこともありました。

「おばちゃんち」で一番魅力があったのは「ところてん」です。ところてんを木製の型に入れて、棒で突いて押し出すのです。それをやらせてもらえるのが嬉しくて嬉しくて、「おばちゃんち」に行く大きな楽しみでした。

おばちゃんについては、父のお姉さんだという以外、実はあまりよく知りません。

5人のいとこのお姉さんやお兄さんも年が離れていたので、一緒に遊ぶというより、遊んでもらう感じでした。

一番年が上のSお姉さんは、美しい人で、遊びにいくと見たことのない楽器を弾いてくれたりしたものです。駄菓子屋さんでもあって、生活空間でもある1階とは全く異なる空間が2階には広がっていて、2階によんでもらえるとバンザーイという気持ちでした。楽器は、それはある時はお琴、ある時はハープ・・・それは幼心にもあまりにエレガントでうっとりしました。物腰も優雅なお姉さんに、いつか私は憧れに似た気持ちを抱くようになりました。

そして、最も年が近いせいか、一番面倒を見てくれたのが、一番年下のMお姉さんです。近くの公園に連れて行ってくれたり、泊りでSお姉さんのお勤めしていた保養施設のあった海に連れて行ってくれたこともありました。楽しかったのは、歌謡曲に合わせていろんな踊りを教えてくれたこと。美空ひばりの「🎵真っ赤に燃~えたぁ 太陽だ~から~🎶」という曲。妹と並んでキャッキャッ言いながら言われた通りに身振り手振りを真似しました。

のちのち私は日本舞踊(地唄舞)を習うことになりますが、このお姉さんに踊りを教わったことが引きがねになったのかなぁとふと思います。

今回、おばちゃんが入院されたというのも、このMお姉さんとLINEでつながったことから知ったのです。

 

病院の場所は、同じ下町でありながら行ったことのない金町という場所。聞いていた部屋番号を探りあてていくと、小さなおばあちゃんになった「おばちゃん」が横たわっていました。スヤスヤ眠っていらしたので、しばらくそのままにベッド近くで腰かけていましたら、間もなく目を覚まして「どなた様ですか?」

私が結婚したときにご挨拶にうかがって以来の再会でした。わからなくて当然です。少し言葉を交わすうちに、ようやく認識していただけて心底ホッとしました。

いったん誰だかわかると、おばちゃんの記憶はどんどんよみがえり、おばちゃんの5人の子どもたち(と言っても60代、70代)の現在の様子、自分は夫を早くになくして大変だったこと、などいろいろお話してくれました。

ちょうど今日から口からお食事をとれるようになったこと、それまでは点滴で命をつないできたこと、お医者さんも看護婦さんもとってもよくしてくれること、調子がよければ来週12日には退院できること・・・

そのうち、「わたしねぇ、100歳越えてるのよ❢」というではありませんか。

そして誕生日まで教えてくれました。それを聞いてビックリ‼

なんと、父の亡くなった日が、父の姉であるおばちゃんの生まれた日と同じ日にちだったのです。

 

父からみると、このおばちゃんは最も仲のよかった姉でした。その姉の誕生日を選んで亡くなったのかはわかりませんが、不思議なこともあるものだなぁと思いました。

 

さて、このブログの記事、昨晩途中になってしまったので、10日の朝続きを書いています。

すると面白いことに、テレビで昨日訪れた葛飾区のことを特集しています。「昭和レトロのまち」ということで町を訪ねて歩く企画です。

わっ、駄菓子屋さんも映っています。懐かしい思いがこみあげてくる土曜日の朝です。

 

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。

今日もよい一日となりますように。