自分を生きる

ちょっとだけ関わっている地元の小学校に、何とまあ今日パラリンピックの選手がみえました。

女子バスケットボールのメンバーのおひとりです。

せっかく同じ敷地にいたのに、ちょうど別の仕事が重なってじっくりお話をうかがうことはできなかったのですが、力強いプレーの一端と「自分を貫く強さ」に満ちたお話に子どもたちは驚きを抱いたようです。

また、給食をいただきながら、同僚の先生とお話していましたら、その方は何とオリンピック新体操の花形選手のおばさまだとのことで、身近にそんな存在がいらしたとは?!とびっくりしました。

既に引退をされているその元選手は、女子新体操では誰でも知っている方なのですが、おばさまから見ても「どこか違う」のだそうです。いろんな意味で「変わっている」のだそうで、やはり常人とは違う「何か」があるそうです。

「いい子ではいない」というのがふたりの共通点なのかなと思いました。自我と呼ぶほどの強い自分がなければとても勝ち抜いていけるものではないようで、ただの「いい子」ではやっていけない厳しい世界なのだろうと妙に納得したのでした。

一方で、たとえば芸能界のようなところで長く活動を続けるためには、やはり人柄が大切というのも聞いたことがあります。

「負けない強さ」と同時に「人柄のよさ」というのもやはり大切かなと思うのですが、神様がご覧になったらどんなものなのでしょうね。

「まあいろいろやってごらんなさい」、案外そんなことかもしれません。

大切なのは自分を生きるということかなと思います。ひとから勧められた生き方ではなく、自分で選び取っていく生き方が自分を生きるということではないかなと思うのです。

そもそもこの世に生まれてきたこと自体、すごい競争に勝って、難関を突破してきたということですから、主役でも脇役でもよい、自分らしく人生という表舞台で思い切りやりなさい、と神様はおっしゃっているように思います。そして「生きにくさ」を抱えている人ほど、大きな使命を持って誕生したすばらしい魂かもしれず、悩み抜いた末にいただける果実は、きっと味わい深い旨味があるに違いありません。

いま現在子育てされている方の中には、言うことをきかない問題児の親御さんもいらっしゃるかもしれません。だとしたら、それはすばらしい力を親も子も持っている証拠かもしれないと思います。

人から理解されない?

おめでとうございます!それはもしかしたら、理解されない程の、常人を越えた何かを持っているということかもしれません。

「普通でない」というのは大変かもしれないけれど、生まれる時にそれでいく!と決めたらしいですから、それに耐えられる強さも同時に与えられているはずです。そして親を選んで生まれてくるそうですので、この親ならやっていけるという確信が親にも子にもあっての誕生らしいです。

めげそうになったら、人を越えた大きな力に助けを求めるとこたえてくれますよ。

沈黙しているように思えるけれども、すぐそばで「だいじょぶだよ!」と見守っていてくれてます。

 

さて、昨日ご紹介した「神棚拝詞」の意味を今日は解釈させていただきますね。

ご自分のお家の神棚、または神棚であると決めたところに向かって唱えるのがこの祝詞です。なければ、心の中に置けばよいかと思います。

神棚拝詞

この神棚にいらっしゃる畏れ多い存在の

天照大御神(太陽の神様)と、住んでいる土地をお守りくださっている神さまたちの御前で、謹んで申し上げます

神さまたちの広く厚い御恵みを有難く奉ります

高く尊い神さまの教えに従って

真っ直ぐで正しい真心をもって

誠(真事・つまり真実)の道からそれることなく

生まれ持ってきた使命(本領)を発揮するために励ましていただき

家が栄え

心身ともに健やかで

世のため人のために力を尽くせるようにさせて下さい

と感謝して申し上げます

 

拙い訳ですが、私はこんな風に解釈しています。

私は今、特別な宗教を持っているわけではないのですが、どの道をたどって行っても行きつくところは同じなんだろうなぁと考えています。

大切なのは自分の特長に気づいて自分を生きることなのではないかなと思うのです。

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。