9.11に「幸せ」を思う

来月の二胡の発表会で演奏する2曲のうち1曲が喜納昌吉(きなしょうきち)さんの「花」です。

どなたも耳になさったことのある歌かと思います。 

川は流れてどこどこ行くの

人も流れてどこどこ行くの

そんな流れがつくころには

花として花として咲かせてあげたい

泣きなさい 笑いなさい

いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

泣きなさい 笑いなさい 

いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

 

語るような心にじわっとうったえかけるこの曲はたくさんのアーティストがカバーしてヒットしている名曲ですが、簡単な言葉なのにちょっと哲学的とも思えるこの歌詞には人に寄り添う優しさがあるように思います。

発表会で演奏するときには、曲の終わりに弦を指ではじいて沖縄の三線(さんしん)を真似た音を出そうと挑戦していますが、ピチカートで正確な音を出すのは意外と難しくて苦戦しています。

 

さてちょうどそんな折り、先日大学卒業して何年ぶりかにお会いした、大学の先生で天才詩人の藤井貞和先生の詩集を読んでましたところ、「喜納昌吉さんはイラクまで行っちゃった」という一節に目が吸い寄せられました。『神の子犬』という詩集の中に収められている「ステートメント〈こどもたち、そして大人たちの〉」という詩の中の言葉です。

こんな一節です。

喜納昌吉さんはイラクまで行っちゃった。

沖縄はうごいているよね。

世界で1000万人のデモ。

喜納さんは武器を楽器に持ちかえようと、

バグダードのそらに、

歌声をひびかせてみたい。

 

この詩の終わりに次のような一文が添えられています。

「(かぐや姫は地上の星である地球を見捨てて月に帰ったけれど)それでも、人類の心のためにひとつの戦闘をやめさせることができたら。—–藤井貞和20030220

 

喜納さんは1948年、米軍占領下のコザ市で生まれます。1972年に麻薬の不法所持で刑務所に入り、そこで哲学書を中心に本を読みあさったのだそうです。1976年には「ハイサイおじさん」が大ヒットして1977年に東京デビュー。「花~すべての人の心に花を~」が生まれたのは1980年のこと。7年後にはタイで半年間チャート1位を占める程のヒット。1991年には紅白歌合戦にも出場。

韓国の国際博覧会、中国の紫禁城、北米ツアー、英国エリザベスホールに次ぎ、ありとあらゆる様々な平和メッセージを発信して、2003年「戦争よりも祭を!イラク・ピースアクション」で平和をうったえたのです。

米英によるイラク攻撃を回避するために「祭りによって魂を解放し、歌や踊りといった文化のエネルギーを爆発させることができたならば、人類は破壊から創造への軌道修正ができるかもしれない」との思いから、イラクの首都バグダッドでエイサーを踊りながらピースパレードやコンサートをおこなったのでした。

 

今日9月11日はアメリカ同時多発テロの起こった日。イラク攻撃の原因となったあのおぞましい事件が起こった日です。

悲しみを忘れないのと同時に、地球のために今何ができるかをもっとみんなで考える日にできたらと思うのです。

悲しみを忘れない一方で、憎しみは置き忘れることができたらよいのですが・・・

「負の連鎖」はきりがありません。

15年前の2001年の今日、3歳で同時多発テロにより34歳だった父を失った住山太一さん今は18歳。「なぜ父は死ななくてはならなかったのだろう?」という問いの答えを求めて、何年か前のNYで行われたこの日の式典で犠牲者の名簿をよみあげた住山さん。

テロを起こした側の気持ちを知ることが父が命を落としたことの解決に結びつくと、太一さんは大学でいま、国際法やアラビア語を学んでいるそうです。

憎しみでなくて「知る」ことを選んだ太一さん。

9.11の今日この日、みんなで「知る」ための努力ができたらいいですね。

私、はじめてますよ、小さなところから。こちらからは何があっても憎まない、ということを。テロや事件とは違う身近なことがらですけれど。

テロをしかけた側が最も嫌がることは、「それでも普通に暮らしていくこと」だそうですよ。難しいけれど。

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。

テロに屈しないこと=幸せを選択すること、です。