徹底的に相手の心に寄り添う

今朝、庭の椿の木で遊んでいるメジロを見つけて「冬気たりなば春遠からじ」という言葉を思い出しました。

「春は遠くはないだろうなぁ」って、明るい未来を予測するいい表現ですね。

青森はこの時期深い雪だそうですし、明日は日本海側に大雪が予測されています。

一層寒くなりそうな時だからこそ、「春は遠くない」と言い聞かせることが大切なことなのかもしれません。

 

昨日、無事に「インテュイティブ・アナトミー」(直感的に身体を読みとる)のセミナーが終了しました。

ホッとするような気持ちと、それを上回る「終わってほしくない」という思いとがないまぜになって昨晩は夕食後脱力感でしばらく動けなくなってしまった程でした。

連日平均3人のモニターさんの症状を遠隔で読み取ったうえでヒーリング(神の無条件の愛のエネルギーを送ること)させていただくということを繰り返したため、ヴィジュアライズ(視覚化)の力は確実につきました。

しかし、私にとってはその先にこそ越えるのが困難な大きな壁が横たわっていたのでした。

それは、「徹底的に相手の心に寄り添う」ということです。

これまで如何に自分が聞きやすいように相手の話を変換させて聴いていたのかということがわかりました。ひどい話ですね。

シータヒーリングというものは、全て創造主にお任せしておこなうものなのですが、知らぬ間に私の理想の世界に導くということを無意識でやってしまっているのことに気が付いたのです。

過去に生きていたとき、私はどうやら旗を掲げていたらしいのですが、その魂の記憶が残っているのか、どうしても自分の旗にこだわってしまっていたところがあったのです。

 

基本的に、「人はどんな風に生きてもよい」ようです。

「病気」ですら、「病気でいること」で守られているものがあったり、それによりまわりが何か気がつくための「病気」であったり、必ずそこには何かしらの意味があるんですね。

そこを尊重しないで、これまでの私は「さぁ、病気を直しましょう!」みたいなことをやっていたのです。

間違いでした!

 

「病気は悪」と決めつけること自体が過ちでした。

「病気」はただ「病気」なのであって、そこに「よい」も「悪い」もないのです(って)。

それなのに私がこれまで、病人が望まないのに、半ば無理やり健康によいものを与えて、身体をもみほぐし、部屋のカーテンを開けて、「さぁ起きて!」みたいなことをやっていたのでした。

今起き上がるかどうかというのは、あくまで本人が決めることなんですね。

彼なり彼女が具合悪いことで、家族が結束する機会を与えられているのかもしれないし、頑張り続けてきた心と体には今しばらくの休息が必要なのかもしれません。

暗い部屋で横たわっていることで、かえって光の存在に気がつくということもあるかもしれません。

暗い部屋にいるからこそ生まれてくる閃き(ひらめき)や発想があるのかもしれません。

 

いずれにしろ、本人の許可なく働きかけをしてはいけないということなのです。ただただ「見守る」ということ。そして本人が「変わりたい」と望んだら、力になるというスタンスが求められる姿です。

それこそが「徹底的に相手の心に寄り添う」ことの第一歩です。

そこに気づけてよかった、今、心の底からそう思います。

 

自分が掲げた旗に導くのではなくて、相手の望むゴールを確認してそこに案内する、そんなことをしていけたらなぁと思います。そして、そのゴールはその時々でその方が望む通りに何度でも書きかえることができますし、キャンセルするのも、今はやめておくということも自由です。

 

セミナー期間中、思いこみのブロックが外れていく仲間が日に日にキラキラしていくのが感じられました。

最も多く駄目出しをされた私でしたが、そんな私に先生は「美也子さんの変わりっぷりが感動的でした!」と言って下さいました。

仕事以外のメールも連絡もいっさい絶って臨んだ実質15日でした。

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学校の方は今日が仕事始めでしたが、私のお年賀状があちこち届いていないため、「すみません、喪中でしたか?」なんて言わせてしまいました。そんなこと心配させていまってこちらこそすみません。そのうち届きます。

 

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。