満月と花火

今晩、息子がお世話になった高校2年3年と持ち上がりのときの担任の先生を囲む会がありました。

東京郊外の八王子の高いビルの上にあり、幹事をやってくれたママのお嬢さんがアルバイトをしている、ちょっと洒落た雰囲気のお店が会場でした。どこかでイベントがあるのか、遠くに見える打ち上げ花火と、くっきりはっきり姿を見せている満月とが「囲む会」を盛り立ててくれました。

男の子にも女の子にも人気のあるその先生は、保護者からも信頼されていて、そんなわけでこのような会も開かれるわけです。

先生との思い出話を一言と言われ、そういえば私はこの先生が担任して下さるからという理由で、最後の年の役員を引き受けたのだった・・・と思い出しました。

それともうひとつ、息子のことに熱心に関わったとはいえない自分を反省して、せめて最後くらい何かお役に立とうというのも、役員を引き受けたもうひとつの理由でした。

 

ママたちも指導的なお仕事をされている方が多いことも、子どもの在学中はあまり知らなかったことです。

バリバリ働く方が多い中、来春には長年の夢だった「お仕事をやめる」のが楽しみで仕方ないという方もいらして、それもまたいいなと思いました。

今後は、子どもの人生と共に自分たちのこれからの人生というものも見直していく時期なのかもしれないなぁと思ったことです。

 

今日は、高校を卒業して1年、それぞれの子どもたちの今現在の活動や、関わっている世界など、互いに尊重しあい、応援しあえることの心地よさを感じました。

 

ちょうど昨日は、フェイスブックでつながっている友人から、ある記事のシェアがありました。

それは、「自分の人生を生きていないとき、人は病気になる」というメンタルトレーナーの梯谷幸司さんの文章です。言葉と意識は結びついている、という考えに基づいたコーチングをされている方のようですが、人は言葉で表現できないとき体で表現を始める、というのです。

全ての病気は感情と関係している、というシータヒーリングの考え方とも繋がっていてとても興味深い記事です。

 

人の作ったものさしで生きるのはもうやめて、自分の心が喜ぶ生き方をみんなで生きることができたらいいですね。

今晩はきれいな満月です。

お願いごとを書き出すと叶うと言われています。新月の時が最も有効ですが、実は思いたったときが始めるときである、と最近気づきました。

書きあらわすことは有効です。

お願いごとを紙に書き出すことを続けるうちに、本当の自分の魂からの願いに気づくかもしれませんね。

そのときこそ、本当の人生を歩みだせるときです。

 

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。