苦手に向き合うことって宝探しなのでした

毎週水曜日は、小学校の児童の「苦手」に向き合っています。「この児童のこの部分が苦手です」というところを強化する役割なのですが、子どもたちの可能性はすばらしくて、担任の先生や親御さんが「困っています」という現象が、ちょっとした言葉かけや時間をかけて「つきあう」ことで、どんどん「できる」状態に向かいます。

「できない」や「わからない」が思いこみだということに本人が気がつくと、結構すんなりと「できる」や「わかる」になるのです。

魔法をかけた?なんて言ってくださる方もいるけれど、子どもたちを通して、ひとの持つ潜在能力のすごさを実感させられているこの頃です。

おつきあいするこちらもまた、新たな発見の連続で、有難いことを体験させていただいているなと感謝です。とはいうものの、自分自身があまり「苦手」と向き合ってきたともいえないので、そこにフォーカスしていくのはしんどいことかと思っていたのですが、意外や意外、これは実は「宝探し」につながるのでした。

 

昨日テレビを見ていたら、骨盤を上手に動かすことがおおいに運動機能のアップになることをつきとめた方が、骨盤を使った運動によってたくさんの方の役に立っているということを伝えていました。その方は、もともと運動選手であったとか。ところがうまく力を発揮できなかった。その世界で活躍できなかった。何故か?

そこをクローズアップしていった結果、問題が骨盤にあることをつきとめたといいます。

自分に伸び悩みがなかったら向き合わなかった課題でした。

もしかしたら、運動選手として大成しなかったことで彼は骨盤の働きの大切さを解明する使命を果たしたといえるかもしれません。

 

同じような話は案外あるものです。

ここが不便だからこんな発明しちゃいました、とか。

自分に似合う服がないから自分で作るひとになりました、とか。

面白い小説が読みたいから自分で書いちゃいました、とか。(ちなみにこれは湊かなえさん)

 

あれ?「苦手」とちょっとずれてきたような・・・

 

日本シリーズで優勝した日本ハムの監督の栗山監督も、選手時代は怪我が多くて辛い時代を過ごしたことが、若手をうまく起用する自分のスタイルを築きあげたと、今メディアが絶賛しています。

苦手ととことん対峙するって、大きな宝との出会いになるということを学んでいる今日この頃です。

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。