気づいたときがスタート

外に出ると、よくバッタリと人に会います。

私と行動していると、「こういうことなのね~」と納得されることも多いです。

今日も曲がり角を曲がったところで会いたかった方と会うことが出来ました。私のまわりには素敵な方が実に多いのですが、それは話を真っ直ぐに受け止めて下さるということなんだなぁと感じます。ですから飾る必要がないし、自然体で接することができるのでありがたいのです。今日バッタリお会いしたY子さんも、私の話を真っ直ぐに受け止めて下さる、素の美しい方です。

そのY子さんと最近お会いしてないなぁ、そろそろお会いできる頃かなぁと思っていた矢先でしたので、とても嬉しかったし、しばらく心弾む会話もできました。ありがたいことです♡

 

先日は電車で卒業した生徒とお母様とバッタリ!仲間から送られてきた動画を見て感動してウルっとしていた時でしたので、少し恥ずかしかった・・・

その元生徒は、在学中によく家族の話をしてくれていて、きょうだい全員の名前に「色」がついていると言っていたのが印象的でした。その生徒の素直さのおおもとには、こんな真っ直ぐなお母様の存在があったのだなぁと感慨無量で、終点までの15分ほど3人で楽しくお話できました。

 

一週間ほど前にも何年か前に卒業した生徒とバッタリ会ったのですが(ホントに「犬も歩けば・・・」って感じです)、授業中に話したことを覚えていてくれたことに感動しました。

当時私は、実の母を亡くしたばかりだったのですが、

「私が最もこわいのは後悔すること」と言ったことを覚えてくれていてビックリしました。

「あのときこうしておけばよかったなぁ」という思いはしたくない、そんな思いで仕事の帰りに往復3時間かけて母の入院していた病院まで通っていたのですが、そのときの思いを生徒に語っていたんですね。それを覚えていてくれたとは!

後から悔やむよりは、その時点での肉体的なしんどさの方を選んでいたというわけです。

 

そうは言っても、人の気持ちってなかなかそう簡単に割り切れるものなどではなく、「あとの祭り」のような経験もたくさんしています。

私は父を早くに、しかも突然失っていますから、

「もっと優しい言葉をなぜ言えなかったろう」とか思わなくもないけれど、スピリチュアルな見方をすれば、たいがいのことは「だいじょぶだよ~」となります。

 

気づいたときに直せばいいんです。

 

亡くなった人がいなくなってしまうわけではないからです。

案外近いところにいるかもしれません。

私たちの方からは見えないだけで、あちらからは見えているとしたら、そのときあなたはどうなさいますか?

 

軽く目を閉じて、感じてみてください。

どうですか?何かあたたかいものに包まれている感覚は味わえますか?

大切な方でしたら、今もまだそばで見守っていて下さっているかもしれませんよ。

 

そして、もし会話したいのであれば、それも不可能ではありません。直接の答えはいただけなくとも、真剣に尋ねると何かしらの答えを別の方法で得ることができるようです。

私の場合は、嫁ぎ先で腑に落ちないことがあった時に、お仏壇で手を合わせて既に亡くなっている義父に尋ねたことがありました。「尋ねた」と言えば聞こえはいいけれど、本当は「文句を言った」のでした。

具体的な内容は忘れてしまいましたが、理不尽と思われる出来事について「どうして?」と詰問したのです、仏様に向かって。

すると不思議!その答えになることを、義母が語り出したのです‼

亡くなった義父はちゃんと見ていてくれているんだなと感じた出来事でした。

 

そして私の場合、どうやらこれが見えない世界から、答えのいただける方法みたいです。

いわゆる霊能者のように「あなたの後ろにだれそれがついてます」のようには私には見えないのだけれど、バッタリと人と出会ったり、必要な答えを何らかの方法で見せていただけたり聞かせていただけたりするのです。

 

それで、大概のことは「悔やまなくてよい」、「気づいたときに直せばよい」、どうやらそんな風に思われるのです。

気づいたらそこからがスタートです‼

いつからでも遅いなんてことはありません。

それがあなたのタイミングなのですから。

 

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。