漱石の先見性~本当の「個人主義」

「寒くなりましたね」

挨拶がわりにここのところ毎日交わされる言葉です。

せめて心はポカポカあたたかくありたいですね。

ニューヨークも今頃はもう冬支度でしょうか。

トランプ氏が次期大統領に決まってから、全米各地で悲しみの声や怒りの声があがっていると言います。カリフォルニア州は、アメリカから独立したいとまで言っているそうです。

オバマさんが大統領に選出された時に、黒人への差別がなくなっていくのかなぁと思ったのは今は幻のようです。黒人の問題ばかりか、性的マイノリティの問題、民族の問題、女性の見方などなど、時代が逆行していってるようで残念です。

「これは間違った捉え方の『個人主義』なんですよ!」と語る人がいます。

「漱石が知ったら嘆くでしょうね。」と私が答えます。

江戸の最後の年に生まれて明治を生きた夏目漱石は、イギリスへの国費留学から帰ってきて、英国に追随するのではなく、真に自分の頭で考えて本当の自由を得ることの大切さを痛感したことがもとになり、「個人主義」を提唱します。

大正3年11月25日に学習院でおこなった講演が「私の個人主義」です。

そして、病み上がりなのにユーモアを交えて時代を先読みしたこの「私の個人主義」のスゴさをあらためて感じるのです。

その内容はざっと次のようなものです。

「自我」や「自覚」を自分勝手ととらえている風潮があるけれども、自分の自我を認めさせたいなら、同時に他の人の自我も認めなければなりません。自分の幸福のために自分の個性を発展させていくなら、他の人にも自由を与えるのがよいのです。決して妨害してはなりません。

さらに続けます。

なぜここに妨害という字を使うかというと、あなたがたは正しく(必ずや)妨害し得る地位に将来立つ人が多いからです。あなたがたのうちには権力を用い得る人があり、また金力を用い得る人がたくさんあるからです。

そうしてこんな風にも。

第一に自己の個性の発展を遂げようとするなら、同時に他人の個性も尊重する必要がある。

第二に権力を使用したいならば、それに付随する義務も心得なければならない。

第三に金力を示そうとするならば、それに伴う責任を重んじなければならない。

つまり

この三つを享受する場合は、人格の支配が必要なのだ。と言います。

 

つまり本当の意味での個人主義は、自分の好き勝手を言ったりやったりすることなどでは毛頭なくて、むしろ人を尊重して、やるべきことをやった上で、自分に言動に責任を持って成り立つものだというのです。

本物の大人でなくてはできないことと言えるでしょう。

これを今の現役高校生と読んで、世界の動きとのギャップに深いため息をついています。

そして四半世紀〈プラスアルファ)前に高校生だった私が、当時尊敬していた現代文の泉民子先生と読んだ時よりも「金力」と「権力」にもの言わせるリーダーが多くなっているようにも思われるのです。

自分が栄えるためなら他人を追い出してもかまわないという排他的で幼稚な考え方がどうしてまかり通るのか、それが「愛」の精神とは真逆であることに何故気がつかないのか、不思議です。

漱石は、この講演のわずか2年後の12月9日に亡くなります。49歳の若さでした。昔の日本人は若くて「老成」していたんだなと感心します。

今の時代を漱石が見たら、いったいどんなことを言うでしょう?

あれだけ言ったのに何もわかってなかったね。なんて言われるかと思うとただ恥ずかしいばかりです。

そして、あらためて夏目漱石という人の先見性に驚いてしまうのです。

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。