使わずにすませるのが名人のワザ

李徴(りちょう)という優秀だけど人と協調してやっていくことのできない傲岸不遜な男が虎になってしまう話は皆さまご存知だと思います。そう、「山月記」というお話です。高校の現代文で読まれた方も多いのではないでしょうか。

その「山月記」を書いた中島敦には別に「李陵」という壮大なスケールの名作があるのですが、小品に「名人伝」というものがあります。舞台は中国、趙という国の紀昌という男の物語。

紀昌には弓の名人になりたいという野望がありました。名人となるため師につき、瞬きをしないワザを身に付けます。さらには髪の毛に結びつけたシラミを見続けることで「視る」チカラを鍛えさせられます。シラミが馬の大きさに見えたある日、矢でシラミの心臓を射抜くことができました。

そこではじめて師の飛衛から奥伝秘儀の伝授が始まります。目のトレーニングに時間をかけただけあって紀昌はどんどん上達し、とうとう百本の矢の連射というわざを習得します。最初に的を射た矢に残りの99本が次々と重なるように刺さり、まるで1本の矢の如くになったのです。

飛衛を越すには飛衛をなき者にと、飛衛と一戦交えたあとに人間的には一枚うわての飛衛にすすめられて西の山奥に住む老師につくことになります。その老師、弓を引かずに飛ぶ鳥を射落とす「不射の射」という術をもっていたのです。

「不射の射」習得に10年近い歳月が経ち、故郷に戻ってきたとき、かつての紀昌はいずこ。表情が全く消えていたのです。

弓の腕前を披露することもなく、それでも一流のわざの持ち主これにありと故郷の人々は誇りに思います。その後紀昌は一度も弓を射ることなく不思議な最期を迎えます。

彼の死後、こんなエピソードが語られます。亡くなる2年程まえに知人宅で弓を見かけたけれど、それが何をするものなのか、どうやって使うのか、さらには「弓」という名称まで忘れ果てていたというのです。

「道具の名称すら忘れてしまう、これぞまさしく名人だ」と人々は感嘆したいうのがこの話のオチです。

 

北朝鮮がミサイルを発射しているようです。

この「名人伝」を伝えてあげては如何でしょうか。紀昌という男が本当に名人級のわざを身に付けたか否かは最後まで明らかではないのですが、身に付けたということ前提で。

「北朝鮮よ、わかった!強い威力を君は身につけたんだね!すごいことだよ。(えらくはないけど)でも、本当にすごいのは使わないことだよ。もっとすごいのは忘れてしまうことなんだけどね」

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。

核はダメ!絶対ダメ‼

いっそのこと、世界中で「核」なんかの存在を忘れてしまいましょう。